ハルク・ホーガン vs アルティメット・ウォリアー@レッスルマニアVI(1990年)

初めてアメリカ国外(カナダ)で開催されたレッスルマニアWWF世界ヘビー級王座&インターコンチネンタル王座戦。会場の盛り上がりはさすが大陸!

この試合は当時中学生で、どうやって見たのかは覚えてないけど、ほぼライムラグなく衛星放送とかで見たと思う。この頃は、プロレス歴1年半程度で、全日、新日見まくってた時期で、とうとうアメプロに手を出すきっかけになった試合。

今考えてみると、長い歴史のあるアメプロのひとつの分岐点だったんではないのかなと思う試合だった。で、この動画がYouTubeのおすすめに出てきたので、30年近くぶりの二度目の観戦。自分でも褒めたいのは試合内容を意外と詳細に覚えてたこと。見直す前のこの試合の記憶を箇条書き。

  • 凡戦
  • 長い
  • アルティメット・ウォリアーの見た目はかっこいい
  • アルティメット・ウォリアー、プロレス下手すぎる

で、視聴後、記憶全て当たってるじゃんwww

この試合見て、うわぁーー完全に日本のプロレスのほうが面白いわってなって、半年ほどアメプロ見なくなったと思う。でもアルティメット・ウォリアーのルックスはかなり好きだったから、近所の輸入雑貨店でハズプロのフィギア購入して、今も実家のどこかにあるんじゃないかな。今度探してみよう。

一応この試合の(オレの記憶の中での)見所は、この時期のホーガンは正義の象徴であり、負けることのないベビーフェイスのスーパースター。負けるとしたらリングアウト負けとか相手のセコンドの介入とかがあった場合くらいで、基本的にはほぼ負けない印象。で、この対戦相手がホーガンの次のスター候補としてWWEがプッシュしてたウォリアー。ベビーフェイス同士の試合でホーガン負けるの初めてみたかもしれない(当時のオレの見た試合ではだけど)。

なにせウォリアーが何もプロレスできないので試合は泥仕合甚だしい。その上試合時間が無駄に長い。ベアハッグの流れは芋焼酎とでも言おうか、なんとも癖になるまったりとした時間帯。ここが一番の見どころ。ホーガンの苦しみ方とお決まりの復活のパターンよw

この試合を境に、ホーガン一色だったWWE(当時はWWF)から今のようなその時々のヒーローが現れ、選手としてのピークを超えると立ち位置的に重要なポジションに残り、ギミックにアクセントを加えていく流れになったのかな。

この後程なくしてホーガンはベビーフェイスから脱却しより輝き、ウォリアーは数年もしないうちに消えていったのである。

4/14追記:試合全編の動画が非表示になったのでダイジェスト版に差し替え。

レッスルマニア

レッスルマニア(WrestleMania)は、アメリカのプロレス団体WWEが主宰する、プロレス興行の名称。また、同興行を扱うPPVの名称でもある。WWEが主宰する興行の中で、年間を通じて最大のイベントである。

レッスルマニア – Wikipedia

ハルク・ホーガン

ハルク・ホーガン(Hulk Hogan、1953年8月11日 – )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州オーガスタ生まれ、フロリダ州タンパ出身。
「アメリカン・プロレス界の顔」的な存在であり、スポーツ・エンターテイメントを体現したプロレスラーとして業界全体に多大な影響を与えた。2m・140kg級の巨体から繰り出すパワーと、観客の心を掴む卓越したパフォーマンスのスキルを活かし、ベビーフェイスとしてもヒールとしても頂点を極めた。

ハルク・ホーガン – Wikipedia

アルティメット・ウォリアー

アルティメット・ウォリアー(The Ultimate Warrior)ことウォリアー(Warrior、1959年6月16日 – 2014年4月8日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州クローフォーズビル出身。
1980年代後半から1990年代前半におけるWWFの看板スターの1人。屈強な肉体から超合金戦士の異名を持つ。レスリング技術の評価は低いものの、わずか数分で試合を決着させる力押し一辺倒のファイトスタイルなど、その徹頭徹尾「躁状態」のキャラクター人気は高かった。

アルティメット・ウォリアー – Wikipedia
ハズプロのウォーリアーのフィギア